2000年の春ボストン暮らしを始めた私は、引越し荷物を運んでくれたヤマト運輸のお兄さんに日本食材のお店を教えてもらいました。セントラルにある吉野家さん。ポータースクエアにある壽屋さん。今はもう二軒ともありません。日本から持参した食材がそろそろなくなり 初めて我が家のお兄ちゃんと一緒に出かけてみると、先にお店に入って行ったお兄ちゃんが、「お母さん、日本語が聞こえるよ。日本の食べ物がいっぱいあるよ」と嬉しそうに私に振り向きました。確かにこんなものまで、と思うほどたくさんの品揃えがありました。しかし、どれもこれも私には高価に感じるものばかりでした。その当時、夫の給料の6割もが家賃に消えてしまうボストンの暮らしの中では、日本ではお兄ちゃんがいつもお買い物のたびにスーパーで買っていた駄菓子ですら、我慢してもらうことになってしまったのです。

 苦しい生活になることは覚悟の上。それでも、現実を見せつけられたような思いがその時の私に降りかかりました。少し重苦しい気持ちになりましたが、次の瞬間フッとある思いが浮かんできて、なんだか嬉しくなってきたのです。

 アメリカにいて、外国(日本)の食材を求めようとするから高価になるのだ。それならば、この国で手に入るものを使って自分で作ったらいい。それなら生活必需品の値段になるはずだ。そうだ、それを趣味にしてしまおう。きっと楽しいはず。そんな風に思ったのでした。

 もともとからこんな本を10代の頃に買っていたほど、私は手作り感があるものが大好きでした。まさにそれを本気で楽しめばいい。これこそ趣味と実益だ!と、私はワクワクして家路に着いたのでした。

 早速引越し荷物の中にも入っていたこの本をバイブルに実行開始。うどんにお味噌。。。私はどんどん自己流の食品作りにはまっていきました。そのうちにだんだん時代はインターネットでの検索も簡単になっていきます。私は最高に自分にぴったりなサイトを見つけたのでした。

http://www.ajiwai.com/

 今はこんなに数え切れないほどの項目が並んでいますが、まだまだ私が発見した頃はこんなに賑やかではありませんでした。私はこの方が新しいことに挑戦してアップされると同じことに挑戦したりして、時には家族の冷たい視線にも耐えながら😆 たくさんの食品を作っていったのでした。


 そしてもう一つ、私には素晴らしい出会いがありました。

 ある日韓国系の食材店リライアブルでレジの順番を待っていると、前にいた女性が親しい方とおしゃべりをはじめました。「あなた今年の紫蘇のできはどう?ミョウガは?」 お二人の会話は、もうまさに私が喉から手が出るほど欲しかった情報です。とっさに私はお二人のおしゃべりに割り込んで、失礼ながらいろいろ質問を始めたのでした。ちなみにその時の状況については2001年ごろのボストン日本人会会報に掲載されています(^_^;) その時に私が不躾ながらも質問をしたお方は、ボストン日本人会婦人部を創始された吉野静子さんでした

 あなた婦人部にお入りなさい! その場で強く勧められた私は、まさに紫蘇という餌に惹きつけられるように入会し、それを機会にたくさんのボストン暮らしの大先輩たちにお会いすることができたのです。

 先輩方の、このボストンに根ざした生活の知恵は膨大です。私がちょっとでも質問したら、倍以上の情報を与えてくれました。そんな何気ない日々の暮らしの知恵袋が、どれほど私のボストン暮らしを彩ってくれたかわかりません。今は天に召された方も多くいらっしゃいます。私はいつか、そんな先輩方との思い出も交えた「ボストン暮らしの便利帳」を作ることを夢見ていました。


  このサイトは、おしゃれな暮らしを紹介するものではありません。もっとボストンの生活に根ざしたもの、ボストンでもこんな工夫で日本を感じられる食卓にできるのだということ、そんな情報が検索できる場になれたら幸せです。

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